□ 第14回「鼻血」
ここはフランスの西海岸、ノルマンディー地方の街・カン。かつて欧州サッカーの主役だったカン・アスレチック・クラブの本拠地である。
欧州でカンが3冠を達成したのが5年前。その後、ローラン会長の急死で経営陣が替わったのがカンの悪夢の始まりだった。急速に拡大しすぎたクラブの経営が失敗、そこに折からの不況が重なりチームは財政難に陥り主力を次々に放出。そんな時期にチームの大黒柱だったアンティ・キヴィが右膝の靭帯断裂という重傷を負い2年近くの戦線離脱。大黒柱を失ったチームは1年目こそD1に残ったものの2年目にはあえなく降格、その後もチーム内での不和などで一向に上昇気流をつかめず現在ではD3まで落ちてしまっている。
カン・アスレチック・クラブの練習場の程近くにある喫茶店。そこにアンティ・キヴィとジャン・エールがいた。カンの無敵神話を作った二人であるがジャン・エールは現在はD4のアジャクシオの監督、キヴィは怪我から奇跡的に復帰したもののトップフォームには程遠い出来に終始している。今季でカンとの契約が切れるが更新の話は来ていない。「実はな、来季からアトレティコ・マドリーの監督に誘われてるんだ。それでな、俺と一緒にまたD1でやらないか?」
D1リーグ14節終了段階で首位を維持するルゴは15節・セルタとのアウェイでのダービーを迎えていた。前節のあと張り切っていたグラシアだったが風邪で欠場、そのためアルテタを起用してメンディエタを前で使うことになったルゴ。しかし、この起用が当たる。開始8分でラウトのポストからメンディエタが叩き込み先制。さらに26分にジャンナコプーロス、45分にポスチガが決めて前半で3−0と試合を決める。しかし、この日もいいプレーを見せていたラウトが左足の靭帯損傷で3週間の離脱を余儀なくされてしまった。そして、大ベテランのニエトは右膝に違和感を感じていた。
リーグカップの準決勝第1戦でヴァレンシアと接戦を展開するルゴ。選手たちは疲労を溜めはじめていた。欧州でのカップ戦に参加していないとはいえ選手層の厚いわけではないルゴにとってはD1は消耗戦だった。ルゴはポスチガとサルバのコンビでこの試合に臨んでいたが攻撃の中心はグラシアだった。右サイドを幾度も攻めて左SBのファビオ・アウレリオに攻撃参加をさせない。一方のヴァレンシアは“パブリート”パブロ・アイマールが抜群の突破力でルゴの守備を切り裂く。対応するパウロ・ニエトだがどこか動きが悪い。それでも読みと老獪な駆け引きでなんとかゴールを守る。
“くそ、ちょこまか動きやがって…”試合も後半に入り10分が経過していた。必死にアイマールの突破を阻むニエトだったが背中を嫌な脂汗が流れるのを感じた。次の瞬間、アイマールのフェイントにバランスを崩しニエトが膝をついてしまう。その瞬間を見逃さなかったリカルド・オリベイラがニエトの相棒であるスベンソンを振り切る。アイマールがパスを出した瞬間、オリベイラとGKゴヤが同時に飛び出す。オリベイラのスパイクの先がゴヤより早くボールに触れる。しかし、ゴヤはボールに飛び込まずにオリベイラの前で体を広げてシュートコースを消す。足元に隙を見つけられなかったオリベイラはゴヤの顔の真横を通るシュートを放つ。手を出しても間に合わないコースだ。
オリベイラが右足を振り抜いた時、ゴヤの頭の中は真っ白に近かった。周囲には誰もいない。ゴールとオリベイラの間にはボールと自分しかいない。ボールに全神経を集中していたゴヤは顔の真横を通るボールに迷うことなく顔をぶつけた。「うわっ、痛そう…。」遠くで見ていたグラシアは思わず顔をしかめた。鼻血を出しながらゴヤがボールを抱え込んだとき、ルゴのトレイナーがレフェリーにゲームを切るようにと叫ぶ。それを聞いてゴヤがサイドラインにボールを出すとトレイナーはゴヤの鼻血ではなく膝をついたままのニエトに駆け寄った。「え?俺の鼻血は??」
ニエトの状態を確認したトレイナーのサンチェスがサンティ監督に向かって×のサインを出す。「ダメか?サラビア、すぐ入ってくれ。重傷じゃないといいが…。」トレーナーに肩を借りながらサイドラインまで来たニエトの表情は苦痛に歪んでいた。「サラビア、すまんがゴヤのやつに礼を言っといてくれ。助かったってな…。」すれ違いざまにそう言われたサラビアはガーゼを持ってピッチに入りゴヤの所に行く。鼻血が出たままのゴヤはサラビアからガーゼをもらうと鼻に詰めて止血の処置を始めた。「ニエトがお前のお陰で助かったってよ。」「ニエトの旦那がそういってくれたんなら鼻血くらい安いもんよ。それより旦那は大丈夫なのか?」ニエトがベンチに戻らずに出口に入っていったのを見てゴヤは心配する。
サラビアが入ったことで安定感を取り戻したルゴのDFラインはいつものようにオフサイドトラップをかけてヴァレンシアの攻撃をかわす。そして29分、サンティも攻勢に出る。ポスチガに代えてカルストロムを投入してスピード勝負に出たのだ。そしてカルストロムの投入はすぐに結果をもたらす。積極的にプレッシャーをかけていたグラシアが右サイドでボールを奪うとファビオ・アウレリオを抜き去り柔らかい浮き球のパスをカルストロムへ送りカルストロムがこれをボレーで叩き込んだのだ。静まり返るメスタージャでグラシアとカルストロムが抱き合う。反対のゴール前でゴヤも拳を突き上げて喜ぶ…がまた鼻血が出てきたので慌ててガーゼを詰めなおす。結局この1点を守りきりルゴがヴァレンシアに1−0で先勝した。「ゴヤの旦那は!?」試合が終わりロッカーに引き上げながらゴヤがコーチに尋ねる。「病院に直行だよ。しばらく厳しいかもしれないって…。」
Copyright © WEYS.net All Rights Reserved
.