この快速FWにはいろんなことがあった。「小さい時から父の影響でボールを
蹴っていたよ」と語る彼。
1974年5月17日生を預かる。あまり裕福な家庭ではなかったが親もサッカーだけのこと
についてはどんなに家庭がくるしくとも「やれ」といっていたという。
そのかいあってか彼は地域選抜に選ばれるほどになった。
そしてついに15歳のカストロにオファーが舞い降りた。
ブラジルの強豪ヴァスコからである。ここのユースで大活躍し432試合234得点
という記録をのこした。
このころから「カストロ」という名前はブラジル全体に広まっていった。
そんな選手をヴァスコが放す理由など無かった。カストロ自身も
「ここはとても気持ちがいい」と残留を思わせるようなことを口にしていた。
がヴァスコの財政難で彼は放出されることになった。移籍先はジュベントゥージ
しかしこれはカストロのサッカー人生でいちばん悪い決断になる。
ジュベントゥージの監督はそのドリブルを生かし、中に切り込んでのゴールを期待した。
しかし悲劇が訪れる。
今日も紅白戦でエンジン全開だったカストロは相手の右サイド
を切り裂いていた。とそのとき!「グキッ」彼のスピードを止めれなかったDFが
後ろからタックルにいってしまう。複雑な体制で倒れた、カストロは
「左足靭帯断裂」という怪我。サッカー選手にとっては致命的な怪我だ
それからリハビリ等をして1年半彼はジュベントゥージのユースのピッチに戻って
きた。しかしそんな彼をダレも見向きしなかった。
彼がもどってきたピッチには左サイドをくずし素晴らしいクロスを上げる選手がいた。
その選手の名はセーザル・ロドリゲス・アパレシド...現在ラツィオで活躍するセーザルだった。
カストロはポジションを奪われた。悔しかった。しかしそんな悔しさも吹き飛ぶほど
悲しいニュースがやってきた。
母が病に倒れた。もともとからだの弱かった母は前にも幾度か入院をしていた。
しかし今回ほど重い症状はなかった。
彼は決心した。それは単身Jリーグへの移籍・・。まだあどけなさの残る。22歳である。
もともとJからオファーのあったカストロ。彼の移籍先は当時福田の相棒をさがしていた
「浦和レッズ」だった。最初の1シーズン目は言葉の問題、食文化など
いろんな点になやまされた。しかしそれでも23試合14得点を決めた。
2シーズン目は小野という最高のパサーをもらいJ2で43試合35得点で得点王になった。
そしてJ1に復帰した3シーズン目今年も小野とのコンビで7試合で7得点と素晴らしいの成績を残していた
しかしその矢先カストロの母は逝ってしまった。彼の健闘も虚しく。
享年54歳。あと20年生きてたっておかしくない若さだった。
この衝撃はカストロにとってあまりにも大きかった。
この悲劇を境目に彼は調子を落としていった。連続ゴールもストップし
マスコミから批判の声がでていた。そんな彼に最大の相棒がいなくなる。
小野伸二フェイエ移籍&エメルソン加入
最大のパートナーだった、小野をなくして、タイプのかぶる同じブラジル人FWエメルソンの加入。
チームはもちろん若いエメルソンを使った。彼はたちまちゴールをあげていった。
そしてカストロはスポットライトを浴びることはなくなった。
2003年夏。彼はエディットチームへの移籍をはたした。まだまだスピードはあるけれど
若い頃に比べれば天と地の差。しかし誰にもない経験をおった彼には自信に満ち溢れていた・・
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