| Name: | ヒメレス・アロンソ GIMELEZ Alonso |
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|---|---|---|
| Nationality: | スペイン | |
| DOB: | 27歳(1976年生まれ) | |
| Height/Weight: | 174cm 73kg | |
| Position: | SMF | |
| Foot: | 左 | |
| アスレティック・ビルバオB(スペイン)→レアル・ソシエダB(スペイン)→レアル・ソシエダ(スペイン) →レアル・ベティス(スペイン)→アラベス(スペイン)→レアル・ベティス(スペイン)→シェレス(スペイン)→レアル・ベティス(スペイン) →デフォルトチーム | ||
| なんと、あの「純血主義」のアスレティック・ビルバオのカンテラ出身。誉れ高いカンテラの出身とあって、ドリブルやロングパスにはなかなか目を見張るものがある。 かつては、各世代代表の常連であり、A代表にも召集されたこともある。 がしかし、エチェベリア、ジェステらとのチーム内での競争に負けベンチを暖めるようになる日々、A代表からもおよびがかからなくなり忘れられていく彼の存在、そしてここ数年は下部リーグのクラブをレンタルでたらい回しにされる日々。 バスク地方にあるギプスコア県、サン・セバスチャン出身の彼は迷うことなく “ラ・レアル”ことレアル・ソシエダードのユースチームに加入した。 繊細なボールタッチを身上とする彼は得意のドリブルと高精度のクロスで徐々に頭角を現していった。 地元スペインで開催されたU21欧州選手権でもラウール、デ・ラ・ペーニャらと共に主力としてチームを決勝まで導いた。 順調にキャリアを積み上げ、トップチームに昇格したヒメレスだがそこで初めての挫折を味わうことになる。 ラ・レアルの左サイドにはデ・ペドロが君臨しており何人たりともその地位を揺るがすことはできなかった。 ヒメレスも例外ではなく持ち味のドリブルを披露する場もろくに与えられず徒に時だけが過ぎていった。 内向的で寡黙な性格の持ち主として知られていた彼は特に親しい友人もなく幼少のころに両親を亡くしていたため 悩みを相談することもできず力不足の自分を責め続けていた。 大きな転機を迎えたのは99-00シーズン、フエラでのベティス戦だった。 久しぶりに先発出場したヒメレスはタッチの細かいドリブルでベティスDF陣を翻弄し再三のチャンスを演出した。 後半に途中交代するとあろうことかベティコから一際大きな拍手が送られた。 この試合でベティコのハートをがっちりと掴んだヒメレスは翌シーズン2部落ちしたベティスから獲得の打診を受けた。 2部でプレーすることに抵抗を感じていたヒメレスだったがベティスの熱意に感動し移籍を決めた。 右サイドのホアキンと共に獅子奮迅の活躍を披露し最短でのプリメーラ昇格を決めたころにはベティコが最も愛する選手の一人となっていた。 私生活でもアンダルシアの陽気な空気に影響されたのか仲間とも打ち解けオフにはホアキンとマスパロマスで日光浴を楽しむ姿も見られた。 ベティスの中でも特にホアキンはヒメレスを慕っており、 「僕のドリブルは直線的というか力任せになる嫌いがあったけど ヒメレスの指導のおかげで緩急がつけれるようになったんだ。 彼はスペインで最高のドリブラーだよ。もちろん2番は僕だよ(笑)」 と賛辞を惜しまない。 01-02シーズンもヒメレスは好調を維持しチームは6位という好成績を残す。 しかしこのシーズンを最後にヒメレスはベティコに別れを告げることになった。 2年間の活躍が高く評価されたヒメレスはデフォルトチームからのオファーを受け入れた。 当時の心境を彼はこう語る。 「以前から各国のビッグクラブが参加するMLには興味がありました。 挑戦できるのは今しかないと思いましたね。体力的にもベストの状態でしたから。 デフォルトチームは2部での苦戦が続いていますが僕がベティスでやったことをもう一度やってみせます。 ベティスを離れるのは辛いですが年々有望な若い選手が育ってきています。 僕がいなくなっても問題ない。そう判断しました」 ベティコは涙した。 同時に新たな戦地へと赴くヒメレスを最大限に後押しした。 その後ヒメレスはデフォルトチームで不動の左サイドハーフとしてチームを支えている。 だがあと一歩のところでD1昇格を逃していた。 果たしてヒメレスはD1の桧舞台に立つことはできるのだろうか…。 |
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| 登録:2004/07/28 フーリガン氏&ヒメレス氏作品 | ||