ルーマニアの地方都市、ティミソアラ出身。地元のクラブのポリテニカ・ティミソアラのサポーターである彼は、物心ついたころからサッカーを始めていた。
その一方で、彼は子供の頃から恵まれた体格と人並み外れたキック力を持っていたため、格闘技にも興味を持っていた。
彼はサッカーでは当たりとキック力が強いが下手くそなFWとして通っていたが、格闘技では将来を嘱望されるセンスがあった。
同年代の子達と戦えば体格を生かした堅い防御と、一撃必殺キックでいつも楽々勝っていた。
そして、年上と戦ってもいとも簡単に相手をKOしていた。彼は自分がサッカーに関してはテクニックが足りないと自覚し、格闘家になることを決意し、猛練習を積んでいく。
彼の噂は、15歳くらいの時には、ルーマニア中どころか近隣諸国にまで轟いていた。
そんな彼に転機が訪れたのは1989年、16歳の時である。そう、あのルーマニアの革命の年。その革命は彼の故郷ティミソアラで起こったデモが発端となったものだ。
彼も家族や友人とともにデモに参加した。独裁政権を倒すためにである。
ところが、そのデモを警察や軍隊が弾圧しにやってきた。デモ隊との衝突となり、その戦闘の中で彼は警官に殴られていた友人をかばおうとして重傷を負ってしまう。
結局、独裁政権は倒れたからデモ隊の目的は一応は達成されたが、この怪我により格闘家としての夢を絶たれた悲しみを背負わされる。
そんな入院中の彼にまた転機が訪れる。彼の入院していた病院は、子供の頃一緒にサッカーしていた友人の父親が医者として勤めていた。
そんな医者もポリテニカ・ティミソアラのサポーターである。
息子から、ヨウガのシュートを防ごうとしたキーパーが手を骨折するくらい、ヨウガのキック力が半端でなかったと昔から耳にタコが出来るくらい聞かされてた医者は、ヨウガをサッカー選手として再生させようと考える。
ヨウガは医者の熱意を感じ、彼の一番のウリであるキック力を取り戻すため、リハビリを始める。
また、FWとしてのテクニックが足りないと感じてた彼は、今度はCBをやろうと決意する。
そしてCBとして入団テストを受けるが、不合格。CBとしてはジャンプ力が足りなかったからである。
今度はボランチに転向する。スタミナには自信なかったが、DFをサポートできるディフェンス力、当たり負けしないボディバランス、
そして何より、「あの傷」の残る右足から放たれるミドルシュートは、格闘家の頃を彷彿とさせるほど強力なもので、ボランチとして大きな武器となる。
ボランチとして受けた入団テストは見事合格。憧れのポリテニカ・ティミソアラで活躍する。
しかし、愛するクラブの財政難により放出される。その後、Kリーグの蔚山現代、Cリーグの上海申花とアジアで大活躍し、トルコのベシクタシュに移籍。
そして三十路に近づいた彼のもとにデフォルトチームからオファーが来る。
ビッグクラブと対戦出来るマスターリーグに参加することを魅力に感じ、彼はこのオファーを受ける。
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